令和元年度の予定(つつじ祭で一部復活、その後は未定です)
平成29年、「開始から15年」を経て、これまでのやり方では実施ができないという判断の下、平成30年度は休止しました。
令和になり、任意の団体として、これからのありようを模索しています。
6月22日(土)午後1:30から、市民センターで、「斎王」の歴史や、柘植の斎王群行イベントのこれまでの取り組みを振り返る学習会を開催することになりました。どなた様でもご参加いただけますので、ぜひ、いっしょにこれまでのこと、これからのこと、いっしょに考えましょう。
柘植の斎王群行について
平安京遷都(794年)から阿須波道開通(886年)までの92年間、この柘植の里は雅やかな斎王群行の重要な役割を果たしていました。
その様子を再現した、柘植の斎王群行。
京の都での「別れのお櫛」の後、斎王群行第3日目、勢多頓宮、甲賀頓宮の宿泊をへて、近江の国から伊賀の国・柘植にお国入りした斎王を奉ずる長奉送使の一行、300名を超える群行を迎えての平安絵巻を、より華々しく再現しています。
(写真は第11回写真コンテスト準特選の岩倉様の作品です)
斎王群行の解説
伊賀の国・柘植の郷の中柘植斎宮芝へ斎王の群行が通り、宿泊のための頓宮が設けられたのは、約1,200年前の平安時代初期、西暦で言いますと、794年から886年までの92年間です。
齋王とは、国の安全と平和を祈願するため、京の都から伊勢神宮へ派遣され、天皇の名代として神に仕えた人のことで、斎王には、皇女や皇族の未婚の女性から卜定(ぼくじょう)という占いによって選ばれました。
斎王に選ばれると、都で2年間精進潔斎し、3年目に伊勢の斎宮に向けて5泊6日の旅をします。斎王さんが都を出立される日、父上と母上に永のお別れをされます。ここで天皇から「別れの櫛」をいただき、遠い伊勢に向かって旅立たれます。
齋王群行の日、齋王を護り、京の都を出発する長奉送使以下500人を越える人々の行列、これを「群行」と呼び、その道中で泊まられる所を「頓宮」といいます。群行の都度、仮宮として設けられました。
柘植川と倉部川の合流点近く、中柘植字塚原の一角に古来より「斎宮芝」というところがあり頓宮の場所とされています。